慶應義塾図書館旧館の出発点は、単なる校舎増設計画ではありませんでした。1901年に創立者・福澤諭吉が没すると、教職員と塾員(卒業生)の間から「福澤先生の偉業を後世に残す『記念図書館』を建てたい」という声が湧き上がります。公式発表資料や大学史編纂所の記録によれば、国内外から寄付が集まり、最終的に総額約30万円(現在の貨幣価値で数十億円規模)が投じられました。1907年に設計が始まり、約5年の歳月を経て1912年8月に竣工。当時の三田はまだ武家屋敷跡の面影が残る静かな高台で、その丘の頂にそびえ立つ赤煉瓦の堂々たる姿は、新時代の学問の象徴として人々の目に焼き付いたといいます。
特に興味深いのは、建設費の相当部分が一般塾員からの小口寄付で賄われた点です。慶應義塾の同窓会組織「三田会」の資料を紐解くと、当時の寄付者名簿には実業家、政治家、学者のみならず、地方の教師や商人なども数多く名を連ねています。つまりこの建物は、一部の富豪による寄贈ではなく、福澤の教えを受けた無名の卒業生たちの「思い」の結晶だったのです。国の文化財指定を2026年時点で受けていないことは意外に思われるかもしれませんが、むしろそれは慶應義塾が私立学塾としての独立性を重んじ、建物を生きた教育資産として使い続ける姿勢の現れともいえるでしょう。