江戸時代における江戸幕府や諸大名の家においては、妾は「側室」と呼ばれ、より精緻な組織構造の中に組み込まれていた。この側室制度を最も戦略的に活用した代表格が、江戸幕府を開いた徳川家康である。
家康は多くの側室を抱え、数多くの子供を儲けた。これにより、尾張・紀州・水戸の御御三家をはじめとする強固な親藩体制を構築し、徳川家の血統を途絶えさせない構造を創り上げた。家康にとって側室とは単なる個人の好みの対象ではなく、合戦や政治的同盟、そして王朝の長久を保障するための極めて冷静な政治手段であった。大名家における継嗣問題は改易(家潰れ)に直結するため、側室の存在は家臣団全体の雇用と生活を守る防波堤でもあったのだ。