「切腹最中」を生み出したのは、大正元年(1912年)創業の老舗和菓子店「新正堂(しんしょうどう)」です。同店が位置する東京都港区新橋4丁目は、かつて陸奥一関藩主・田村右京太夫の屋敷があった場所。元禄14年(1701年)の江戸城松の廊下刃傷事件の後、赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹した終焉の地として歴史に名を刻んでいます。
1990年、新正堂の3代目当主・渡辺仁久氏が「この地ならではの歴史を語り継ぐ銘菓を作りたい」と発案したのが切腹最中の原点でした。しかし、当時の和菓子業界において「切腹」という単語は前代未聞のタブー。開発当初は家族や古参の職人たちから「縁起でもない」「店を潰す気か」と猛烈な反対に遭いました。当時のインタビュー記録でも、周囲の怒号や同業者からの失笑を受けながらも、店主が自らの信念を曲げずに商品化へ突き進んだ苦悩が明かされています。
店主は単なる奇をてらったネーミングに終わらせず、形状にも徹底的な物語性を込めました。最中の皮(種)の間から溢れんばかりに飛び出す餡は、浅野内匠頭の「無念の思い」と「切腹の切口」を想起させる大胆なビジュアル。しかし中には純白でもちもちとした「求肥(ぎゅうひ)」が包み込まれており、「腹の中は清廉潔白である」「誠心誠意を尽くす」というメッセージを忍ばせたのです。発売後、当初の懸念を覆してビジネスパーソンの口コミから火が付き、今や新橋を代表する名物菓子へと登り詰めました。