広島の地は、常に武家政権の力学に翻弄されてきた。太田川の三角州に巨大な平城を築き、中国地方に君臨した毛利輝元。しかし関ヶ原の戦いで敗者となり、わずか防長2カ国へと押し込められる。代わって入封した猛将・福島正則は、城の無断修繕という口実で徳川幕府によって非情にも改易へと追い込まれた。
1619年、その空白を埋めるべく紀州から入城したのが、徳川家康の娘婿でもあった浅野長晟だ。ここから浅野家42万石の治世が幕を開ける。広島藩は、西国の親藩・譜代大名が乏しい中国筋において、幕府にとっても絶対に失ってはならない要衝だった。城下町の整備、治水事業、そして厳島神社を抱える瀬戸内海運の掌握。彼らは中央の顔色を伺いつつ、独自の経済圏を着実に固めていった。