寺院を訪れた際、千手観音の手を数えてみて「千本に足りない」と驚いた経験を持つ方は少なくありません。現存する千手観音像の大多数は、胸前で合掌する2本の手のほかに、左右に20本ずつ配された合計42本の手で表現されています。これには仏教の世界観に基づく精緻な理由が存在します。
仏教の宇宙観では、迷いある衆生が輪廻転生を繰り返す世界を「二十五有(にじゅうごう)」と呼ばれる25段階の領域に分類します。胸前で合掌する2本の手(根本手)を除いた左右40本の手が、それぞれこの25の世界を漏れなく救済すると解釈されるため、「40本 × 25世界 = 1,000本」の救済力に換算される仕組みです。すなわち、42本の姿であっても、本質的に千本の手を完全に具現化していると見なされます。
千手観音の歴史と由来を遡ると、インド密教の成立期においてヒンドゥー教の多面多臂神(多くの顔や腕を持つ神々)の影響を受けながら、観音菩薩の救済能力を極限まで強調する尊格として誕生しました。中国を経て奈良時代初期の日本へと伝来し、現世利益と国家安寧を願う人々の間で絶大な信仰を集めるに至りました。