この歴史的交渉の全権を任されたのは、かつて箱館戦争で旧幕府軍を率いて五稜郭に立てこもり、明治政府と戦った榎本武揚特命全権公使でした。オランダ留学で国際法と海洋学を修めた榎本の頭脳を高く評価した明治政府は、彼を獄中から抜擢し、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクへと派遣したのです。
当時のロシア側代表は、ヨーロッパ外交界の重鎮として名を馳せていた外相アレクサンドル・ゴルチャコフでした。ロシア側は当初、樺太全島を要求しつつ、千島列島については得撫島周辺のわずかな島々しか渡さない強硬姿勢を示していました。
外務省の外交記録文書や榎本武揚の当時の日記・書簡によると、榎本は国際法の論理を武器に一歩も引かず、次のように主張し続けました。
「樺太という広大な領有権を平和裏に譲歩する以上、千島列島はカムチャツカ半島南端に至る全島(占守島まで)を引き渡すのが公平な等価交換である」
榎本は連日ペテルブルクの外交界を奔走し、ロシア側の官僚や学者とも接触して地質や海洋データを収集。国際法に則った粘り強い議論を展開した結果、ついにゴルチャコフから「得撫島以北18島すべての日本への譲渡」という満額回答を引き出すことに成功しました。敗軍の将から転身した一人の外交官が、知性と胆力で大国ロシアを動かした瞬間でした。