加藤のキャリアにおいて最大の功罪が交錯するのが、第一次世界大戦下の1915年、大隈重信内閣の外相として突きつけた「対華21カ条要求」である。欧米列強が欧州戦線に忙殺されている隙を突き、中国における日本の権益を一挙に拡大しようとしたこの外交劇は、内外に大きな波紋を呼んだ。
英米での外交官経験が長く、生粋の「英国通」として知られた加藤が、なぜ国際協調を乱すような強硬姿勢に舵を切ったのか。外務省内部の記録によれば、山県有朋ら元老の介入を排し、外務省主導の独裁的な外交権限を誇示しようとした焦りが存在していた。結果として中国の激越な反日感情を呼び起こし、国際的孤立の種をまくことになったこの判断は、彼の輝かしい経歴に拭いがたい影を落としている。