PL教団の名を日本中に轟かせた最大のエンジンは、間違いなく学校法人PL学園が誇るスポーツ実績、とりわけPL学園硬式野球部でした。甲子園通算96勝、春夏通算7度の優勝を誇り、桑田真澄氏、清原和博氏をはじめ数多のプロ野球レジェンドを輩出した名門中の名門です。
しかし、栄華を極めた野球部は2016年夏を最後に休部へと追い込まれました。その背景には、度重なる学内暴力事案の発覚による高野連からの処分だけでなく、教団と学校経営陣による抜本的な方針転換がありました。かつては全国から有力選手をスカウトし、教団の全面的な資金バックアップのもとで全寮制の精鋭教育を行っていましたが、教団の財政逼迫と信者数の減少に伴い、巨額の維持費がかかる野球部強化の継続が困難となったのです。
さらに事態は野球部にとどまりませんでした。少子化と教団信者の子弟減少の波は学園経営そのものを直撃し、PL学園中学校・高等学校は生徒募集を順次停止。在校生の卒業を待って事実上の休校状態へと突入しました。かつて「逆転のPL」として社会現象を巻き起こした学び舎は、教団の縮小と軌を一にしてその歴史に大きな区切りを打つこととなったのです。