Q1:巴御前は義仲と別れた後、どのような人生を送ったと伝えられていますか?
A1:諸本や後世の軍記・伝承によって諸説あります。『源平盛衰記』などでは、鎌倉へ護送された後に頼朝の命で和田義盛の妻となり、怪力で知られる朝比奈義秀を産んだという伝説や、義仲の菩提を弔うために出家して信濃や越中(富山県)で91歳の天寿を全うしたという伝承が残されています。ただし歴史的事実としての確定的な証拠はありません。
Q2:木曽義仲と今井兼平の「乳母子(めのとご)」とは、具体的にどのような関係ですか?
A2:中世において乳母(養育係の女性)の実子は「乳母子」と呼ばれ、主君となる貴種(義仲)と実の兄弟以上に固い信頼関係で結ばれました。今井兼平の母は義仲の乳母であり、兼平は幼少期から信濃の木曽谷で義仲の側近・護衛として共に育ちました。主従関係でありながら精神的な血盟関係にあったからこそ、粟津の戦いにおける絶対的な献身が生まれたのです。
Q3:テストの品詞分解で絶対に落としてはいけない頻出の助動詞は何ですか?
A3:「射られ給ひぬ」などに現れる完了の助動詞「ぬ」、尊敬の助動詞「給ふ」、そして過去の助動詞「き・けり」の識別です。特に「ぬ」が強意(確述)なのか完了なのかの文脈判定や、係助詞「ぞ・なむ・や・か」を受けた結びの流れ(係り結びの法則)は定期テストの記述や共通テスト形式で頻繁に狙われます。
Q4:義仲の墓は現在どこにあり、今もお参りすることはできますか?
A4:滋賀県大津市打出浜にある「義仲寺(ぎちゅうじ)」に葬られています。粟津の地で果てた義仲を弔うために建立され、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が義仲の悲劇的な生涯に深く共鳴し、「義仲寺の境内に自分を葬ってほしい」と遺言を残したことでも有名です。現在も義仲の墓の隣に芭蕉の墓が並んで建っており、多くの参拝者が訪れています。