ペニシリンを巡るドラマは、敵国であった当時の日本でも繰り広げられていました。1943年末、日本軍は撃墜した米軍爆撃機の残骸やドイツからの潜水艦連絡(遣独潜水艦作戦)を通じて、連合国側が驚異的な特効薬を使用している情報を入手します。
危機感を抱いた日本は、陸軍軍医学校、東京帝国大学、理化学研究所などのトップ科学者を集結させ、極秘プロジェクトを発足させました。これが日本でのペニシリン開発(碧素:へきそ)です。青カビの「青(碧)」にちなんで名付けられたこの薬は、日本国内に自生するカビの収集からスタートしました。
物資が極端に不足する戦時体制下において、研究者たちは醤油樽や牛乳瓶などを代用してカビを培養し、わずか数か月という異例のスピードで独自の抽出・結晶化に成功します。終戦直前の1944年後半には患者への臨床投与も行われ、確かな治癒効果が確認されていました。空襲による施設破壊などで終戦前の大量生産には至らなかったものの、この「碧素」開発で培われた発酵・精製技術の基盤が、戦後日本の医薬品産業の復興を支える礎となりました。