『火垂るの墓』を正しく読み解くためには、原作者・野坂昭如氏による自伝的小説と、高畑勲監督が手掛けたアニメーション映画の視点の違いを理解することが不可欠です。
野坂昭如氏の原作小説は、彼自身の「妹を見殺しにして自分だけが生き残ってしまった」という痛切な懺悔と罪悪感から執筆されました。実際の野坂氏は、空襲で焼け出された後、1歳4か月の義理の妹とともに福井県へ疎開しましたが、飢えのあまり妹に与えるべき食べ物を自分が横取りして食べてしまい、結果として妹を餓死させています。小説における清太の献身的な姿は、「こうあってほしかった」「自分は清太のように優しくなれなかった」という野坂氏の強烈な悔恨が生み出した祈りの物語でした。
一方、映画を監督した高畑勲氏は、生前のインタビューや著書において明確に異なる意図を語っています。高畑監督は本作を「単なる反戦映画ではない」と断言しており、次のように指摘しています。
「清太の姿は、わずらわしい人間関係を嫌い、自分たちだけの閉じた世界に逃げ込もうとする現代の若者そのものである」
高畑監督が描いた清太は、社会や共同体からの干渉を拒絶し、妹との純粋な二人だけの世界を守ろうとして自滅していった少年です。ラスト近く、衰弱した節子が泥の団子を口にし、息を引き取った後にドロップ缶へ節子の骨を納める清太の姿は、他者との関係を断ち切った人間が辿る究極の孤立と悲劇を象徴しています。