1983年の夏、永田町とメディア界に激震が走った。当時85歳、死の淵にあった哲人・安岡正篤と、40代半ばの細木数子が密かに婚姻届を提出していたことが発覚したからだ。政財界の重鎮たちが「心の師」と仰ぐ巨星の突然の入籍劇。だが、その裏には単なる男女の情愛を超えた、権威と野望が複雑に絡み合う愛憎劇が存在していた。
安岡の側近や遺族、そして彼が設立した知識人団体師友会の幹部たちは猛反発した。認知症が進行し、正常な判断能力を失っていた老思想家を細木が懐柔し、強引に婚姻届を出させたという主張だ。一方の細木は「二人の間には確かな魂の結びつきがあった」と主張し、真っ向から対立。最高裁まで争われかねなかったこの騒動は、安岡の他界直後、最終的に婚姻無効の調停が成立する形で終止符を打たれた。しかし、この騒動こそが、彼女の名を日本中に知らしめる決定的な転換点となったのだ。