1889年(明治22年)、東京の麻布に生まれた柳宗悦は、学習院高等科から東京帝国大学哲学科へと進むエリートコースを歩みました。学習院時代には志賀直哉や武者小路実篤らと文学雑誌『白樺』を創刊。西洋のポスト印象派絵画やロダン、ウィリアム・ブレイクの神秘主義思想を日本にいち早く紹介するなど、若き日の柳宗悦は白樺派の中心的な理論的指導者として活動していました。
転機が訪れたのは1914年、浅川伯教・巧兄弟から贈られた李朝(朝鮮王朝)時代の陶磁器「秋草文染付面取壺」を手にした瞬間でした。作為のない伸びやかな線と素朴な白磁の肌に心を奪われた柳宗悦は、幾度も朝鮮半島へ渡り、過酷な時代背景の中で虐げられていた朝鮮陶磁や伝統工芸の卓越した美を精力的に紹介します。国家の力関係を超え、他国の文化へ真摯な敬意を払うその姿勢は、今なお国際的に高い評価を受けています。
柳宗悦の活動を物心両面で支え続けたのが、妻の柳兼子(声楽家・アルト歌手)の存在です。日本歌曲の草分けとして活躍した兼子は、自らのコンサート活動で得た収入で柳宗悦の研究や調査旅行、工芸品の収集を陰ながら支えました。白樺派で培った鋭敏な感性と朝鮮陶磁との出会い、そして理解ある伴侶の支えが、のちに全国の風土に根差した手仕事を巡る大いなる民藝運動へと結実していくことになります。