韓国による不法占拠の直接の引き金となったのは、1952年1月18日に韓国の初代大統領・李承晩が突如として宣言した「海洋主権宣言(通称:李承晩ライン)」です。サンフランシスコ平和条約の発効によって日本が主権を回復するわずか3か月前、まだ日本が連合国軍の占領下で外交権を持たないタイミングを狙って強行されました。
李承晩ラインは、国際法上認められていない広大な公海上に勝手に引かれた境界線であり、その内側に竹島が一方的に取り込まれました。日本政府は直ちに厳重な抗議を行いましたが、韓国側はラインを越えた日本の漁船を次々と銃撃・拿捕しました。
この不法な拿捕によって、拿捕された日本漁船は328隻、抑留された漁民は3,929人、死傷者は44人にのぼる甚大な被害が発生しました。その後、1953年に韓国青年らによる武装組織が島に上陸し、1954年には韓国警備隊が常駐を開始。日本が軍事力を行使できない状況下で既成事実化を進めたことこそが、今日に続く「不法占拠」の始まりです。