寿福寺が建つ「亀ヶ谷(かめがやつ)」と呼ばれる地は、源氏にとって極めて重要なゆかりの場所でした。かつて源頼朝の父・源義朝や先祖の源頼義が館を構えていた拠点であり、頼朝が鎌倉入りした当初も居館の候補地として検討されたと伝えられています。
正治元年(1199年)に頼朝が急死すると、深い悲しみに暮れた北条政子は、夫の魂を鎮めるべくこの由緒ある地に寺院の建立を決意しました。そこで白羽の矢が立ったのが、中国(宋)から茶の文化と本格的な禅宗をもたらした高僧・明庵栄西(みょうあんえいさい)です。
当時の鎌倉にはまだ純粋な禅寺が存在せず、旧来の仏教勢力との緊張関係も続いていました。北条政子と幕府首脳陣は、栄西の先進的な禅の教えと卓越した学識を後ろ盾とすることで、幕府の権威を宗教的にも確立しようとした側面があります。寿福寺は創建当初、密教や天台宗も兼ねる寺院としてスタートしましたが、後に純粋な禅宗寺院へと移行し、室町時代には足利義満が定めた「鎌倉五山」の第三位(第一位:建長寺、第二位:円覚寺に次ぐ序列)に位置づけられました。