非の打ち所がないアスリートに見える大谷翔平。だが、その「完璧さ」こそがアンチを生み出す土壌になっていると指摘する声は少なくない。あまりにクリーンなパブリックイメージ、スキャンダルを寄せ付けないストイックな私生活。人間味を感じさせない完全無欠なヒーロー像は、一部のファンにとって強烈な違和感や反発の引き金となる。
現地アメリカのファンコミュニティを観察すると、批判の動機は極めて多層的だ。大谷個人の人格というよりは、彼を取り巻くメディアの過剰な狂騒に嫌気が差した層が「アンチ化」するケースが目立つ。試合の勝敗や他球団の好プレーを差し置いて、大谷の一挙手一投足ばかりを報じる放送姿勢への苛立ちが、矛先を変えて選手本人へと向かっているのだ。
しかし、米球界内部のリアルな評価は依然として極めて高い。現場のスカウトや監督、対戦相手の選手たちが語るのは、純粋な畏怖と敬意だ。グラウンド上での規律正しい振る舞いや野球に対する真摯な姿勢は、球界関係者の間では今なおリスペクトの対象であり続けている。つまり、SNS上で吹き荒れる嵐と、クラブハウス内のリアルな空気感との間には決定的な断絶が存在する。