情報が氾濫するWeb空間では、仏教の作法や教理に関して事実と異なる迷信や誇張が散見されます。「南無大師遍照金剛」に関しても、初心者が立ち止まってしまう誤った言説が定着しつつあります。取材班が宗派関係者および教理研究者に確認した、正すべき3つの典型的な誤解を取り上げます。
誤解1:真言宗の門徒(檀家)でなければ唱えてはいけない?
これは完全な誤解です。弘法大師空海は生前、貴族だけでなく名もなき民衆のために日本初の庶民学校「綜芸種智院」を開設し、満濃池の改修工事を指導するなど、徹底して宗派や身分の枠を壊して活動した人物です。高野山真言宗の教学部関係者も「大師はすべての人々に開かれた慈悲の存在であり、宗派を問わず誰がいつ唱えても何ら咎めはない」と明言しています。
誤解2:唱えすぎると「仏罰」が当たったり体調を崩す?
ネットの一部オカルト掲示板等で「密教の呪文だから素人が何百回も唱えると霊障が起きる」といった荒唐無稽な言説が見られます。しかし御宝号は、密教の中でも最高度に公権化された讃嘆(さんたん)の言葉であり、怨敵を調伏するような呪詛(じゅそ)の要素は一切含まれていません。むしろ南無大師遍照金剛ご利益とは、自らの内にある大日如来と同じ仏性を呼び起こす自己浄化のプロセスであり、唱える頻度によって悪影響が生じることは仏教学上あり得ません。
誤解3:「南無阿弥陀仏」と続けて唱えると仏様同士が喧嘩する?
「自宅の仏壇が浄土真宗なのに、お遍路で覚えた御宝号を唱えたら不敬にあたるか」という相談は知恵袋等で頻出します。日本の仏教文化は古来「神仏習合」に代表される極めて寛容な包摂性を持っています。教理の純潔を重んじる一部の法式儀礼を除き、個人の祈りの空間において、祖先を阿弥陀仏に委ねつつ、自らの現世での歩みを空海に祈願することは民俗信仰的にも長年行われてきた自然な営みです。