写真史料をめぐる混乱は、終戦直後の東京裁判提出証拠写真にまで遡ります。極東国際軍事裁判において検察側が提出した写真資料の中には、出所や撮影状況の裏付けが不十分なまま証拠採用されたものが含まれていました。当時は現代のようなデジタル鑑識技術もネガの体系的な追跡調査も難しく、写真の信憑性をめぐる火種がこの時点で埋め込まれていたと言えます。
転換点となったのは、2006年から2009年にかけて日中両国の歴史学者が合同で進めた学術対話です。2010年に公表された日中歴史共同研究報告書では、犠牲者数や「虐殺」の定義をめぐって両国の主張に隔たりが残ったものの、日本軍による非戦闘員の殺害、略奪、暴行が存在したという基本的事実については共通の歴史認識として記載されました。
この共同研究の過程でも、写真の取り扱いには極めて慎重な姿勢が求められました。単に「写真が存在するから証拠になる」という短絡的な姿勢を排し、撮影者の身元、ネガの残存状況、当時の従軍日記や公報との突合が義務づけられたことで、学術的に耐えうる史料とそうでない写真の切り分けが大きく前進しました。