広島県の大竹高校から南海ホークスへテスト生同然で入団した当初、広瀬は線が細く、守備にも課題を抱える控えの内野手に過ぎなかった。その才能を誰よりも早く見抜いたのが、名将・鶴岡一人である。鶴岡は広瀬の類まれな俊足と空間把握能力を買い、外野手へのコンバートを決断。これが日本球界の歴史を変える転換点となった。
外野の定位置を掴むため、広瀬は血のにじむような特打と打撃フォームの改造に没頭した。長打を無理に狙うのではなく、グラウンドの隙間へ鋭いライナーを放ち、自慢の快足で長打に仕立て上げる独自のバッティングスタイルを確立。その結実が1964年シーズンだ。打率.366という驚異的なアベレージで首位打者のタイトルを獲得すると同時に、72盗塁を記録して盗塁王も手中に収めた。「走れる首位打者」としての完成形を示し、南海をリーグ優勝へと牽引したのである。