結論から明快にお伝えすると、木戸孝允と桂小五郎は同一人物です。江戸幕府を倒す原動力となった長州藩の指導者「桂小五郎」が、激動の政治情勢を経て明治政府のトップ「木戸孝允」へと名を変えました。
歴史ファンならずとも気になる「なぜ名前を変えたのか」という疑問ですが、これには単なる気まぐれではない、命懸けの政治的背景が存在します。
元々、彼は天保4年(1833年)に長州藩医・和田昌景の末子として生まれ、和田小五郎と名乗っていました。その後、桂家の養子となったことで「桂小五郎」と称するようになります。京都で尊王攘夷運動の急先鋒として頭角を現した彼は、新選組や京都見回り組、幕府勢力から命を狙われる最重要指名手配犯となりました。そのため、「新堀松輔(にいぼりまつすけ)」や「木戸準一郎」など、数多くの変名を使って潜伏生活を送らざるを得なかったのです。
決定的な転機となったのは、慶応元年(1865年)のことです。長州藩の政権を握っていた高杉晋作ら倒幕派が主導権を確立した際、藩主・毛利敬親(もうりたかちか)から木戸準一郎の姓を公に名乗るよう藩命が下りました。幕府に対する敵対姿勢を明確にし、朝敵と見なされていた「桂」の旧名を捨てて新たな体制で再出発を図るという、藩を挙げた政治的リブランディングの一環でした。そして明治維新後、明治2年(1869年)に明治天皇から賜った名義などを経て、実名である「孝允」を用い、歴史に燦然と輝く「木戸孝允」として後世に名を遺すことになりました。
つまり、桂小五郎と木戸孝允の違いとは、命を懸けて幕府打倒に奔走した「潜伏と革命の志士時代」か、近代日本の統治機構をゼロから創り上げた「国家指導者の官僚時代」かという、人生のフェーズの違いそのものを意味しています。