彼の原点は、1967年に入社した文化放送にある。本名である御法川法男の名でマイクの前に立ち、深夜放送『セイ!ヤング』などで軽快なトークを繰り広げた若手時代。だが、順風満帆なエリートコースだったわけではない。一度は局を離れ、父親が経営する水道メーターメーカーの営業マンとして全国を回るという異色の経歴を挟んでいる。
この「泥臭い営業マン時代」に培った庶民感覚と人心掌握術こそが、後に花開く唯一無二の司会スタイルの土台となった。1980年代後半にフリーアナウンサーとして本格復帰を果たすと、溢れんばかりのバイタリティと歯に衣着せぬ語り口で、瞬く間に各テレビ局のプロデューサーたちを虜にしていった。