明治時代の人々を脅かしていた脅威は、現代のような生活習慣病(がんや動脈硬化)ではありませんでした。命を奪う要因の大部分は、劣悪な住環境と栄養障害に起因する感染症でした。
「亡国病」と恐れられた結核と猛威を振るう感染症
当時の死因統計で長年にわたり首位を独占していたのが、明治時代の主な死因と結核です。産業革命によって製糸工場や紡績工場に集められた若い女性労働者(女工)たちは、換気の悪い密集空間で過酷な長時間労働を強いられ、結核の温床となりました。当時は有効な治療薬が存在せず、結核は「不治の病」「亡国病」と恐れられ、20代から30代の若年層の命を次々と奪い去っていきました。
さらに、明治時代の衛生環境と感染症の課題は深刻を極めていました。開国とともに海外からコレラや赤痢、腸チフスといった経口感染症が度々侵入し、ひとたび流行すれば数万人単位の死者を出しました。上下水道が未分離で井戸水に汚水が混入しやすい当時の住環境では、病原菌の爆発的拡散を食い止める手立てが極めて乏しかったのです。
文明開化が招いた栄養の罠|「明治時代の食事と脚気」の悲劇
もう一つの知られざる脅威が、国民的奇病として恐れられた「脚気(かっけ)」でした。江戸時代までは玄米や雑穀を主食としていた庶民の間に、明治以降、精米技術の向上とともに「純白の白米」を腹いっぱい食べることが豊かさの象徴として定着しました。
ところが白米ばかりを偏食し、ビタミンB1(サイアミン)が決定的に欠乏した結果、手足のしびれや心不全(脚気衝心)を引き起こして急死する事例が多発しました。特に深刻だったのが軍隊です。日清・日露戦争において、日本陸軍は軍医総監・森鴎外(森林太郎)らが「脚気細菌説」に固執して麦飯の導入を拒み続けた結果、戦闘による戦死者を上回る数万人の脚気病死者を出す惨劇を招きました。一方、海軍軍医・高木兼寛は兵食に麦飯や肉類を取り入れる食事改革断行によって脚気をほぼ根絶させることに成功しています。食生活の近代化に伴う栄養素の偏りもまた、当時の健康を著しく脅かす要因でした。