「なぜこのメロディを聴くと涙が出そうになるのか」という疑問に対し、音楽心理学や認知科学は明快な答えを提示しています。カナダのマギル大学による音楽情動研究をはじめとする複数の学術調査では、音楽による快感や情動のトリガーは、脳内報酬系におけるドーパミンの分泌と密接に連動していることが実証されています。その分泌を促す中核が、和声進行がもたらす「期待(予測)」と「裏切り」、そして「解決」のサイクルです。
人間は特定の調性(キー)の中で音楽を聴く際、無意識のうちに次に続く音の着地点を予測します。もっとも安定した拠点である「トニック(主和音)」から、緊張を孕んだ「サブドミナント(下属音)」や「ドミナント(属音)」へと移行し、再び主和音へ帰着した瞬間に、脳は強いカタルシス(快感)を覚えます。ヒット曲の多くは、リスナーが心地よいと感じる普遍的な進行パターンを踏襲しつつ、わずかなテンションノートや代理コードを差し挟むことで、予測通りの安心感と新鮮な刺激を同時に与えているのです。
特に日本のJ-POPシーンにおいては、演歌や唱歌の時代から育まれてきた「哀愁(ヨナ抜き音階や短調の湿り気)」と、西洋ポピュラー音楽の洗練された機能和声が融合した独自のコード感覚が形成されてきました。時代が昭和、平成、令和と移り変わり、シンセポップからボカロ曲、チル系R&Bへとサウンドの意匠が変わっても、支持を集める骨格としてのコード進行パターンが共通しているのは、日本人の聴覚文化に深く刻まれた情緒的フックが存在する証拠です。