兵站の軽視がもたらした最悪の帰結として、軍事史に深く刻まれているのが1944年のインパール作戦である。ビルマ(現ミャンマー)から険峻なアラカン山脈を越えてインド北東部を目指したこの無謀な進攻作戦を主導したのが、第15軍司令官の牟田口廉也中将だった。
補給線の確保が絶望的であると現場から悲鳴が上がる中、打ち出されたのは現地で調達した牛や羊に物資を運ばせ、最後は食糧にするという「ジンギスカン作戦」だった。だが、山岳地帯の急流やジャングルで家畜は次々と流失・滑落し、作戦開始直後に補給計画は破綻した。雨季の豪雨が襲いかかり、補給部隊が壊滅した前線では、戦闘による死傷者をはるかに上回る餓死者と病死者が続出。退却路は折り重なる遺体から「白骨街道」と呼ばれ、司令部の独善と補給無視が生み出した地獄として今も語り継がれている。