軽井沢のテニスコートで育まれたロマンスは、戦後民主主義の象徴として日本国民に熱狂的に受け入れられた。だが、格式と血統を至上命題としてきた閉鎖的な宮中枢軸にとって、民間出身の皇太子妃受け入れは受け入れがたい激震だった。
婚姻の儀が進む段階から、反発の火種は燻り続けていた。当時の宮中内掌典や旧華族出身の女官たちは、日常の些細な所作や言葉遣い、立ち居振る舞いに至るまで冷徹な品定めを繰り返した。香淳皇后を取り巻く旧来の側近勢力と、新たな風を持ち込もうとする若き妃との間には、埋めようのない深い溝が刻まれていく。宮内庁内部でも旧弊な慣習を守ろうとする勢力が主流を占め、味方となるべき組織の中で孤立する構造が初期の段階で完成していた。