1980年代半ばまで、東西の力関係はほぼ互角か、むしろ伝統ある関東がリードする場面も見られました。そのパワーバランスを根本から破壊した決定打が、1985年に栗東トレーニング・センターへ開設された「坂路調教コース」です。
当時としては画期的だった栗東の坂路は、全長1,080m・高低差32mという過酷な傾斜を有していました。平坦なコースを周回する従来の調教に比べ、競走馬の脚元への負担を抑えつつ、心肺機能と後肢(トモ)の筋力を短期間で飛躍的に強化できるシステムが確立されたのです。ミホノブルボンやナリタブライアンといった圧倒的な名馬が栗東から次々と誕生し、関西馬の強さは絶対的なものとなっていきました。
対する美浦への坂路導入は1993年まで遅れ、しかも地形的な制約から高低差はわずか18m程度にとどまりました。勾配が緩く負荷が足りないため、「美浦の坂路で仕上げても栗東馬のパワーには対抗できない」というトレセン施設の格差が決定的なものとなったのです。
この施設格差は、やがて人的・資金的な格差へと連鎖しました。有力馬主や社台グループをはじめとする大手生産牧場は、期待の良血馬を次々と栗東のトップ厩舎へ預託するようになります。その結果、「強い馬が集まる栗東が勝ち、勝つからさらに良い馬が集まる」という強固なスパイラルが完成し、重賞レースにおける関西馬の圧倒的優位が定着しました。