二人の接点が生まれたのは1950年代半ば、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」でした。当時、丸山明宏の名でステージに立ち、その類まれなる美貌と中性的な存在感で銀座の文化人を熱狂させていた美輪明宏。そこに、すでに文壇の寵児として名を馳せていた三島由紀夫が足繁く通うようになります。
当時の自著や特番インタビューの回想によると、三島は初対面の美輪に対して強い興味を示し、「お酒を一杯奢らせてほしい」と声をかけました。しかし、若き美輪は媚びることなく「私は芸を売っている歌手であり、自分を売っているわけではありません。お酒なら自分で買えます」と平然と言い放ちます。周囲の大人が平伏する大作家を歯牙にもかけないその誇り高さに、三島はプライドを傷つけられるどころか、「こんな美しい生き物が日本にいたのか」と雷に打たれたような衝撃を受けたのです。
三島は美輪の容姿を「天上界の美」と絶賛し、100点満点中「非の打ち所がない」と評しました。同時に、美輪の鋭敏な知性と妥協なき美意識を認め、二人は急速に対等な議論を交わす特別な知己へと発展していきました。