ネット上で定期的に話題となる言説の中に、「『アンパンマンのマーチ』の歌詞は、特攻隊として戦死した弟・千尋氏への鎮魂歌(レクイエム)である」というものがあります。「胸の傷」「飛んでゆく」といった歌詞の断片がその根拠として語られるケースが散見されます。
しかし、生前のやなせ氏の手記や日本テレビ音楽出版などの公式記録において、特定の戦没者を追悼することだけを目的に書いたと明言された事実はありません。弟の戦死が氏の死生観に決定的な影を落としたことは事実であるものの、やなせ氏が目指したのは「今を生きるすべての人々に向けた、生きる意味の問い直し」でした。特定の都市伝説に矮小化するのではなく、普遍的な人間愛として受け止めるのが適切です。
さらに、1973年にフレーベル館から月刊絵本として刊行された初期の『あんぱんまん』は、当時の保育者や評論家から「残酷だ」「顔を食べさせるなど不気味で下品だ」と猛烈な批判を受けました。大人たちからは総スカンを食らったものの、全国の幼稚園や保育園で子どもたちがボロボロになるまで読み耽ったことで版を重ねたという歴史があります。
「大人の批評家はアテにならない。子どもの直感こそが本物だった」とやなせ氏が回想した通り、世間の常識や同調圧力に惑わされず、純粋な受け手の感情を信じ切った姿勢こそが、半世紀に及ぶロングセラーを支える原動力となったのです。