沢田研二がソロデビューを果たし、日本のポップス界の頂点に君臨した時代から、彼は公私の境界線を極めて明確に引いていた。特に1970年代から80年代にかけての狂乱とも言えるメディアの追っかけ攻勢の中で、家族のプライバシーを守ることは、彼にとって最優先の課題だったのだ。
伊藤エミとの結婚、そして長男の誕生。世間の注目が最高潮に達する中でも、沢田は息子をメディアの前に立たせることは決してしなかった。この徹底した防衛策が、結果として数十年後の現代に至るまで「謎の二世」という好奇心を刺激し続ける結果を生み出している。