漫画家・石塚真一の軌跡と現在地|遅咲きから世界的名作を生む情熱の源泉の詳細解説を解説します。最新トレンドがチェックできます。

石塚真一が多くの読者やクリエイターから特別な敬意を払われる最大の要因は、その異色すぎる経歴にあります。10代から漫画賞に投稿を重ねて若くして頭角を現す一般的な漫画家の歩みとは、まったく異なる道のりを歩んできました。

高校卒業後、単身アメリカへ渡りサザン・イリノイ大学(南イリノイ大学)へ進学した石塚は、そこで気象学を専攻しました。広大なアメリカの自然に触れる中でロッククライミング(登山)に没頭し、本場のジャズやヒップホップなどの生きたカルチャーを全身で浴びる日々を送ります。この約5年間にわたるアメリカ留学での原体験こそが、のちの『岳』や『BLUE GIANT』の骨格を形作ることになります。

しかし、帰国後の道のりは順風満帆ではありませんでした。日本で就職した会社が倒産し、突如として職を失うという大きな挫折を味わいます。当時28歳。将来の展望が不透明な中で「一生をかけて熱中できるものを作りたい」と決意し、全くの未経験から漫画の道具を買い揃えて執筆をスタートしました。

当時のインタビューにおいて石塚は、「20代の終わりにゼロから漫画を始めた時は、とにかく必死で机にかじりついていた。失うものが何もなかったからこそ、愚直に描き続けることができた」と振り返っています。2001年に小学館の新人コミック大賞で入選を果たし、30代を迎えてプロデビューを果たしたこの遅咲きの経験が、石塚作品に流れる「何歳からでも挑戦する人間の気迫」や「他者への温かなまなざし」の源泉泉となっています。