Q1:豊臣秀吉が最も愛した妻は結局だれだったのですか?
A1:感情の拠り所や信頼関係としては下積み時代を共にした「正室・ねね」であり、後継者を産んだ女性・名門への憧れを満たす対象としては「側室・茶々」であったといえます。また、記録に残る寵愛の深さでは「京極竜子(松の丸殿)」も秀吉から溺愛されており、それぞれ異なる愛着の形を持っていました。
Q2:ねね(高台院)は関ヶ原の戦いで徳川家康を支持したのですか?
A2:長年「ねねは東軍(家康)、茶々は西軍(三成)を応援した」と語られてきましたが、近年の研究ではねねが明確に家康を支持した事実は否定されつつあります。ねね自身は中立を保ち、豊臣家の存続を祈りながら双方の親族や養子たちの身を案じていました。
Q3:秀吉には本当に実子がいなかったという「秀頼非実子説」は本当ですか?
A3:秀吉が数十人の女性と関係を持ちながら茶々以外に子ができなかったため、古くから秀頼は別の人物(大野治長など)の子ではないかという俗説があります。しかし、秀吉の筆跡が残る書状からは秀頼を実子と確信して溺愛していた様子が明白であり、現代の学術界では確定的な証拠のない俗説として扱われています。