この前代未聞の凶行に及んだ大久保利通 暗殺 犯人の中心人物が、元加賀藩士の島田一郎(当時30歳)です。島田をはじめとする実行犯6名(石川県士族5名、島根県士族1名)は、なぜ大久保を標的に定めたのでしょうか。その背景には、明治維新以降に蓄積された不平士族の反乱の最終的な帰結という構造的要因が存在します。
明治政府が進めた廃藩置県、秩禄処分、廃刀令といった一連の改革は、武士階級から身分、特権、そして経済的基盤を完全に奪い去るものでした。士族たちの不満は各地で爆発し、佐賀の乱(1874年)、神風連の乱・秋月の乱・萩の乱(1876年)、そして明治10年(1877年)の西南戦争へと発展します。しかし、士族の精神的支柱であった西郷隆盛が西南戦争で敗死したことで、武力による大規模な反乱の道は完全に閉ざされました。
島田一郎らは当初、西南戦争に呼応して挙兵することを計画していましたが、政府軍の圧倒的な軍事力の前に西郷軍が壊滅したため断念。正攻法の反乱が不可能となった結果、彼らが選んだ手段が「政府首班の要撃」というテロリズムでした。島田らは、政府の強権的な近代化を推し進める黒幕であり、独裁体制を築いているのは内務卿の大久保であると断定し、暗殺計画を綿密に練り上げていったのです。