司法が直面した壁はあまりにも高かった。逮捕された主犯格をはじめとする少年グループに対し、当時の少年法は「処罰よりも保護と教育」を最優先に掲げていた。どれほど凄惨を極めた凶行であっても、犯行時に未成年であった者たちに死刑や無期懲役を適用することは極めて困難だったのだ。裁判は激しく紛糾した。
東京地方裁判所、東京高等裁判所を経て、最高裁判所に至る審理の末に下された判決は、主犯格の男に対する懲役20年。当時の少年法下における事実上の上限に近い量刑だった。しかし、遺族や世論の怒りと絶望が収まることはなかった。「凶悪犯罪に年齢の壁を設けるべきではない」という国民的議論は燎原の火のごとく広がり、この事件は日本の法制度を大きく転換させる原動力となる。2000年の少年法改正による刑事処分可能年齢の引き下げ(16歳から14歳へ)をはじめ、一連の厳罰化路線はまさにこの事件の痛切な反省から生まれたものだった。