王騎を死へと追いやったのは、単一の武力ではありません。武神・龐煖の個の力と、稀代の天才軍略家・李牧の組織戦略が絡み合った「二重構造の罠」が死因の本質です。
秦と趙が激突した「馬陽(ばよう)の戦い」において、王騎はかつて自らの副官であり婚約者でもあった摎(きょう)の命を奪った龐煖との一騎討ちに臨みました。圧倒的な気迫と将軍としての重みで龐煖を完全に圧倒し、あと一撃で討ち取るところまで追い詰めた王騎でしたが、戦況を根底から覆す異変が生じます。
当時、中華でまだ無名であった趙の三大天・李牧が、北方の騎馬民族討伐で培った精鋭4万の騎兵を率いて極秘裏に進軍。徹底した情報統制により、秦軍本隊はもちろん王騎の卓越した観察眼すら欺く奇襲包囲網を敷いたのです。さらに、一騎討ちの極限状態において、趙国の弓の名手・魏加が放った不意打ちの一矢が王騎の背を貫きます。その刹那の隙を突かれ、龐煖の大矛が王騎の胸郭を深く刺し貫く結果となりました。
現場の戦術レベルでは「狙撃による不覚」に見えるものの、大局的には「李牧の情報封鎖と高速機動戦術に嵌められた必然の敗戦」であり、時代の潮目が個の武勇から広域戦略へと移行した象徴的な瞬間でもありました。