なぜ秦は、最大の宿敵である趙の王都・邯鄲を包囲しながらも、軍を転進させてまで韓都攻略を最優先したのでしょうか。そこには地政学上および軍事戦略上の極めて冷徹な計算が存在していました。
第一に、韓は中華のほぼ中心(中原の臍)に位置しており、趙や魏を深く攻め込む際に、常に秦軍の補給線や側面を脅かすリスクを抱えていました。背後の憂いを完全に断ち切らなければ、大軍を東方へ展開することは不可能です。
第二に、戦国七雄の中で最小の領土と兵力しか持たない韓を電撃的に滅ぼすことで、秦の国力を誇示し、他国(魏・楚・燕・斉)への強烈な威嚇とする意図がありました。さらに、最も重要な理由は「他国を滅ぼした後の統治実験」です。武力による制圧だけでなく、旧王都の民をいかに秦の法の下で平穏に統合できるかというモデルケースを、中原の中心である新鄭で確立する必要があったのです。