日本各地の伝承や風習を丹念に拾い集めた民俗学の祖・柳田國男。彼の残した厖大なフィールドワーク資料には、村々で受け継がれてきた乳房にまつわる信仰や民俗語彙が記録されている。
かつての農村や漁村では、乳房は単なる肉体の一部ではなく、神仏への祈願対象であり、豊作や安産を司る聖なる象徴であった。「ちち神様」や「乳母石」といった信仰拠点が各地に点在し、そこでは「おっぱい」に通ずる親密な方言呼称が神聖な祝詞とともに唱えられていた。
民俗調査が明らかにしたのは、中央の標準語化政策に抗して生き残った豊かな地域性だ。母乳の出を祈る儀礼の現場では、格式張った漢語ではなく、血の通った土着の言葉こそが母と子の絆を結ぶ呪術的な力を持っていた。