彼の政治哲学を語る上で欠かせないのが「東アジア共同体構想」だ。欧州連合(EU)のような地域統合をアジアにも構築し、友愛の精神で対立を回避するというビジョンは、当時は「現実離れしている」と激しい批判に晒された。しかし、国際情勢が緊迫度を増す現在、その構想が持っていた先見性を再評価する声も根強く存在する。
「対米依存からの脱却」と「近隣諸国との対話」を両立させようとした試みは、挫折に終わった。だが、米中対立の板挟みとなる現代の日本政治において、彼が主張し続けた独自の外交ビジョンは、今なお強烈なアンチテーゼとして永田町に問いを投げかけている。