竹田宮家の歴史は、1906(明治39)年、北白川宮能久親王の長男である竹田宮恒久王が宮家を創設したことに始まる。恒久王は明治天皇の第六皇女・昌子内親王と婚姻を結び、皇室の強固な藩屏としての地位を確立した。当時の皇族男子の慣例に従い陸軍軍人としての道を歩み、騎兵畑を中心にキャリアを重ねたが、1919年に流行したスペイン風邪により37歳の若さで急逝した。
初代が遺した高輪の邸宅は、現在も歴史的建造物としてその威容を留め、当時の宮家が担っていた外交的・宮廷的役割の重厚さを今に伝えている。明治天皇の直系皇女が輿入れしたという事実は、旧宮家群の中でも竹田宮家が皇室と極めて近い親族関係にあったことを物語る動かぬ証左である。