1997年に発生した一連の犯行は、突発的な単発事件ではなく、数カ月にわたってエスカレートしていった計画的な連続殺傷事件でした。当時の中学3年生(14歳)による神戸小学生殺害事件の概要と経緯を振り返ると、その凶行の激化ぶりが浮き彫りになります。
最初の凶行は1997年2月10日、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2名がゴム製ハンマーで殴打され重傷を負いました。続いて3月16日には、小学4年生の山下彩花さん(当時10歳)が八角玄能(金づち)で頭部を殴られて死亡し、同日中に別の女子児童も腹部をナイフで刺されて重傷を負っています。
犯行が頂点に達したのが同年5月24日でした。知人関係にあった小学6年生の土師淳くん(当時11歳)を言葉巧みに山奥の「タンク山(高尾山)」へ誘い出して絞殺。遺体を隠匿したのち、翌25日から26日にかけて遺体を損壊し、5月27日早朝、神戸市立友が丘中学校の正門前に淳くんの頭部を遺棄しました。通学中の生徒や地域住民が目撃したその異様な光景は、日本社会に前代未聞の衝撃を与えました。