祭りに対する拒絶反応は、決して現代特有の現象ではない。日本の民俗学を切り拓いた柳田國男は、日常である「ケ」と非日常である「ハレ」の循環の中に日本人の精神構造を見出した。村落共同体において、日常の鬱屈を破裂させる狂騒としての「ハレ」は必要不可欠な装置であった。
しかし、日本民俗学会などで議論されるように、職住分離が進み多様な価値観が混在する現代都市において、誰もが同じタイミングで「ハレ」の狂騒を受け入れられるわけではない。「ケ」の静かな生活を求める権利が脅かされるとき、歪みが生じる。
こうした地域共同体の濃厚すぎる人間関係と、祭りが持つ閉塞感や狂気を鮮烈に描き出したのが、名作映画『祭りの準備』だ。狂騒に同調できない個人の葛藤は、半世紀前にも若者たちの心を重く押し潰していた歴史がある。