神話の記述においても、その差は顕著です。例えば、太陽神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の扱い。国内向けの『古事記』では、彼女の喜怒哀楽や人間味あふれるエピソードが生き生きと描かれます。天の岩戸に隠れてしまうシーンなどは、その最たる例です。
しかし、対外的な体裁を重んじる『日本書紀』では、より抽象的で絶対的な権威として描かれる傾向があります。さらに、歴代天皇の業績についても、『日本書紀』は中国の歴史書に倣い、道徳的で非の打ち所がない君主像を演出しようとする意図が見え隠れします。誰をどう見せたいかというプロパガンダの技術が、1300年以上も前に確立されていた事実に驚かされます。