かつて「洛」とは、中国の洛陽に由来する言葉だった。延暦13年(794年)に遷都された平安京において、右京の衰退と左京の繁栄に伴い、人々は左京一帯を「洛陽」と呼ぶようになった。これが「洛中」という概念の原点である。当時は朱雀大路を中心に構想された都市基盤が、時代の経過とともに右から左へと重心を移していった。
明確な「壁」として境界を可視化したのは、安土桃山時代を統治した豊臣秀吉である。天正19年(1591年)、秀吉は京都の周囲に全長約22.5キロメートルにおよぶ大規模な土塁構造物「御土居」を張り巡らせた。内側を「洛中」、外側を「洛外」と画然に区別したこの工事は、軍事防衛と治水、そして税収管理の目的を兼ね備えていた。現在も市内に点在する御土居跡は、当時の都市計画の規模をリアルに物語る。