寺田屋の名が歴史に深く刻まれた理由は、幕末に起きた「二度の寺田屋事件」にあります。教科書や歴史作品で混同されがちなこの二つの出来事を正しく把握することが、現地をより深く味わう鍵となります。
一度目は文久2年(1862年)に起きた「薩摩藩尊皇派の粛清事件(寺田屋騒動)」です。薩摩藩主の父・島津久光の命を受けた鎮撫使が、急進派の同志・有馬新七らを討ち取った凄惨な同士討ちの舞台となりました。
そして二度目が、慶応2年(1866年)に起きた「坂本龍馬襲撃事件」です。薩長同盟の締結を成功させた直後、寺田屋に滞在していた坂本龍馬と三吉慎蔵を、京都見廻組・伏見奉行所の捕り方が急襲。龍馬は拳銃(スミス&ウェッソン)で応戦し両手を負傷しながらも、辛くも裏木戸から脱出しました。
この脱出劇の立役者となったのが、龍馬の妻となるお龍(楢崎龍)の機転です。一階の風呂場で入浴中だったお龍が捕り方の気配に気づき、着の身着のままで二階へ駆け上がって龍馬に急を知らせたエピソードは、幕末屈指のドラマとして知られています。