明治から大正にかけて、日本の鉄道網は幹線を中心に整備が進められたが、山間部や資金力に乏しい地方都市は取り残されていた。そこにブレイクスルーをもたらしたのが、1910年に公布された「軽便鉄道法」である。敷設基準を大幅に緩和し、低コストでの鉄道敷設を促したこの法律により、全国で爆発的な建設ブームが巻き起こった。
主役となったのは、軌間わずか762ミリメートル(2フィート6インチ)を中心とする特殊狭軌だった。国鉄の標準的な狭軌(1067ミリ)と比べても圧倒的に小さく、急曲線や急勾配にも柔軟に対応できる。このミニマムなインフラをビジネスとして確立させた立役者が、「日本の鉄道王」と呼ばれた実業家・雨宮敬次郎だ。雨宮が率いた雨宮製鉄所などの国産メーカーは、廉価で頑丈な小型蒸気機関車を次々と供給し、地方資本の参入を後押しした。
官営鉄道を統括していた当時の鉄道省も、地方の産業振興を促すフィーダーラインとしてこれらの路線を位置づけ、時には買収・統合を行いながら全国交通網の基盤を築き上げていった。