「正義のための戦いなんてどこにもない。正義はある日突然、簡単に逆転する」。やなせたかしが晩年まで繰り返し語り続けたこの警句は、彼の戦争体験という過酷な原風景に根ざしている。第二次世界大戦中、出征先で信じ込まされていた「お国のための正義」は、敗戦とともに一夜にして悪へと塗り替えられた。昨日までの正しさが今日には罪になる。その圧倒的な虚無のなかで、彼が掴み取った唯一の真実こそが「飢えた人にひとくちのパンを与えること」だった。
思想や国境、宗教が違えども、飢えに苦しむ者に手を差し伸べる行為だけは決して逆転しない。これこそが、やなせが生涯をかけて貫いた「絶対的な正義」の核心だ。現代社会は今、互いの正しさをぶつけ合う不寛容の時代を迎えている。だからこそ、相手を論破することではなく、自らを削って他者を救うアンパンマンの献身と、それを裏打ちする彼の言葉が、乾いた現代人の魂を激しく揺さぶるのだ。