菅さんの弔辞はなぜ泣けるのか?山県有朋の和歌と焼き鳥屋秘話の全文解説

菅さんの弔辞はなぜ泣けるのか?山県有朋の和歌と焼き鳥屋秘話の全文解説

菅さんの弔辞はなぜ泣けるのか?山県有朋の和歌と焼き鳥屋秘話の全文解説とはどのようなものなのか? 背景や要点を整理してお届けします。

弔辞のクライマックスを飾り、列席者や視聴者に最大の衝撃を与えたのが、明治の元老・山県有朋が詠んだ和歌の引用でした。この劇的な演出には、どのような歴史的事実と背景が隠されていたのでしょうか。

伊藤博文暗殺と山県有朋の慟哭

引用された和歌「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」は、1909(明治42)年10月26日、初代内閣総理大臣の伊藤博文が中国・ハルビン駅で暗殺された際、盟友であった山県有朋が詠んだ一首です。

長州藩の松下村塾以来、近代日本の礎を築くために対立と協調を繰り返しながら駆け抜けた伊藤と山県。伊藤の非業の死を知った山県は、その訃報に接して激しく号泣したと伝えられています。「互いに国家のあり方を激論し合い、全力を尽くしてきた無二の理解者が先に旅立ってしまった。残された私は、これから先の日本をいったいどう導いていけばよいのか」という絶望的な孤独感の吐露でした。

安倍氏の机に残されていた『山県有朋』のしおり

関係者の証言によると、この和歌は菅氏や周囲が事前に文学的な効果を狙って選んだものではありませんでした。事件後、菅氏が安倍氏の富ヶ谷の私邸を訪れた際、書斎の机の上に置かれていたのが、歴史学者・岡義武の名著『山県有朋―明治日本の象徴』(岩波新書)でした。

その本の後半、ハルビンでの伊藤博文遭難の章に、安倍氏自身の手で挟み込まれていた「しおり」があったのです。ページを開くと、まさにその和歌の下に線が引かれていました。伊藤と同じく凶弾に倒れた安倍氏自身が、生前に友の死を悼む山県の歌に思いを馳せていたという戦慄的なまでの符合。この事実を知った菅氏は、弔辞の結びはこの言葉以外にあり得ないと直感したといいます。

近代日本の黎明期を生きた「伊藤と山県」の主従を超えた盟友関係が、100年以上の時を超えて現代の「安倍と菅」の関係性と完全に重なり合いました。歴史の皮肉と因果を感じさせるこのエピソードは、単なる引用を超えた神話的な重みをもって国民の心に刻まれたのです。

中村 さくら
Author

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。