廃校前の学区は、砂町地域の北東部を中心に設定されていました。東京メトロ東西線の南砂町駅や東大島駅からはいずれも徒歩圏内にはなく、最寄り駅からはバスを利用するか、自転車や徒歩で通う児童が多かったとされています。アクセス面では決して便利とはいえない立地でしたが、そのぶん地域に根ざした生活圏のなかで学校が機能していたことがうかがえます。
制服については、長らく私服通学が基本だったとみられます。ただし、江東区の多くの区立小学校と同様に、標準服や体操着、指定の上履き・防災頭巾などが用意され、入学時に一括購入するスタイルでした。卒業生の回想では「指定の黄色い帽子と紺の体操着が定番だった」「冬は指定の上着があった」といった声がSNS上に残っています。
在校生や卒業生による口コミ・評判を見ると、「小規模校ならではのアットホームさ」「先生と児童の距離が近い」「地域の祭りや町会とのつながりが深い」といった肯定的な評価が目立ちます。一方で、「設備の古さは否めなかった」「クラス替えがなく人間関係が固定されがちだった」という率直な指摘も見られ、小規模校の光と影がそのまま表れていたといえるでしょう。