もしもあの時、東京行きを決断せずに大阪の高校を卒業し、大学へ進学していたらどうなっていただろうか。菅田自身も、過去のインタビューで「もし別の人生があったなら、関西で普通の就職をして、週末に友達とビールを飲んでいるような生活をしていたかもしれない」と語ったことがある。
しかし、運命の歯車は彼を表現者の道へと導いた。普通の青春を途中で手放したからこそ、彼はスクリーンの中で何十通りもの「異なる人生」を全力で生きることができている。失ったものの大きさと、それによって得たものの価値を、30代を迎えた今の彼は静かに噛み締めているようだ。