高校入学当初の山本は、しなやかなフォームこそ目を引くものの、ストレートの球速は120キロ台後半から130キロ台前半に過ぎなかった。転機が訪れたのは高校2年の夏から秋にかけてだ。当時、チームの指導陣や恩師たちが導入したのが、自重を中心としたインナーマッスルの強化と、身体の連動性を極限まで高める独自のトレーニングメソッドだった。
過度なウエイトトレーニングに頼るのではなく、胸郭の柔軟性や股関節の可動域を広げるアプローチ。これにより、体幹から指先へとエネルギーがロスなく伝わる美しい投球フォームが完成していった。結果として、高校3年の夏には自己最速となる球速151キロを計測。無名だった右腕の急激な覚醒に、現地に詰めかけたプロのスカウト陣は目を見張った。恩師は当時を振り返り、「無理に球速を追わせるのではなく、身体の理にかなった動きを徹底させたことが、あの151キロを生んだ」と明かしている。