なぜ京都大学だったのか。龍介さんは幼少期から生き物や自然に強い興味を示していたといいます。自ら調べ、学び、道を切り拓くタイプだった彼が選んだのが、関西の最高峰である京都大学農学部でした。東京の有名私立という選択肢もありながら、あえて親元を遠く離れる京都の地を選んだ背景には、息子なりの「自立への強い意志」があったと推測されます。
一方で、松本明子さんの動揺は隠せませんでした。仕事で多忙を極める中、息子の身の回りの世話を焼き続けてきた彼女にとって、突然の「京都行き」は青天の霹靂。嬉しさ半分、寂しさ半分、いや、寂しさが圧倒的に勝る日々が始まったのです。